自分の仕事のこの先をいろいろ考えている今日この頃。悲観も楽観もしていないけれど、一つだけ思うのは「嵐が去るのを待てば、元の場所に戻れる」っていうふうには考えられないということ。

今回のことがある前から課題意識はあって、それが思いがけず強制的に(笑)、考えさせられた感じ。わたしの事業の(今のところ)メインの研修講師っていう仕事の有り様は、この先大きく変わっていくよね、と思う。

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話がイキナリ飛ぶけれど(必要な寄り道w)、小学校とか中学校に授業をしにいくことがたまにある。15年前、初めて行ったときはひどかった。自分の想定とは全く違う子どもたちの反応に、あとでめちゃくちゃ反省した(苦笑)。子どもって正直なので、つまらないときは露骨につまらないって態度になる(笑)。

 

大反省したわたしは今はずいぶんマシになり、小学校の体育館に全学年が集まって45分話すという怖い場面でもw(朝礼の校長先生の話より格段に長い・笑)、なんとか授業がやれたりもする(でも全学年はもう勘弁してw)。だけどそれは、わたしが頑張っていろいろ工夫した、と言う要素だけではなく、「いつもの先生(身内)じゃなく、お客さんで珍しい人」だから、っていうアドバンテージがかなりあるんだよね。

外の人は、良くも悪くもその場限りで、そのとき楽しいな、面白いな、ってなったとしても、ダイジなのは「いつも一緒にいる人」だし、外の人が来て何か刺激を受けたとしても、そう長くは続かないと思っている。

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さて(やっと本題)、同じことを研修講師をしていて思う。

ありがたいことに多くの職場でいろんな課題を教えていただき、人事の方と一緒に研修を作って、その場では精一杯の仕事をしている。手ごたえを感じる場はたくさんあるし、そこで出会った人たちには何か一つでも「行動変容のきっかけ」を残しているつもりではいる。個人的なご縁がその後も続いている方もいる。

 

だけれど、年に1度、7時間ご一緒したからといって、それは「非日常」であって、ほんとうにその職場の課題、その人たちの課題の役に立つことは、その職場の中にあって職場の上司や職場のシステムの中にある。ちょっとした息抜きのように研修で時間を過ごしたくらいで、日常に関わる人たちが変わらなければ「慣性の法則」で、元に戻る。

研修本来の目的は一人一人の行動変容であり、それによって職場のよい循環が生まれることだ。もっと息長い取り組みだし、日々の、その日常の中にいる人が当事者として動かねば、実現することは難しい。できればその場に、黒子になって観察してフィードバックしたい。ほんとに(3か月くらい置いてもらえないかな・笑)

今、こんな状況になって多くの研修は止まっている。もちろんコツコツと、あるいは緊急性があって、オンラインで研修が継続されているものもたくさんあるし、多くの講師たちや研修会社はそこへの適応を真っ先にすすめてもいる。ただ、明日のビジネスがどうなるか見えないときに、研修というものは(とくに外から迎え入れるものは)優先順位が決して高くはない。

では、人を育てるということはやらなくていいのか?人材育成は止めてもいいのか?育っている人だけで組織を回せばよいのか。未経験者やまだ未熟な人は、放置すればよいのか?

答えはもちろんNOに決まっている。なぜって、人はインスタント麺のようには育たないからだ。種をまき、水と肥料とお日様によって時間をかけて育つ作物のように、会社の力になってくれるには適切な働きかけと、時間が必要だからだ。

現在、職場は在宅ワークへの急な対応を余儀なくされて、同じ業種でも「スムーズな会社」とそうじゃないところがはっきり分かれている。オンライン化の波に早めに乗れる準備のできている学校と、そうじゃない学校がある。うまくやれている組織はいずれも、世の中がそんなことに投資をしていないころからやってきたところだ。「いらないよね」って思われながら。人材育成も同じことだ。

教育をしなかったからといって、すぐに損はしない。不況が続けば離職率は下がるだろうし、人が余れば採用もしやすいかもしれない。でも、その結果が出たころにはもう、歯を食いしばって人を採用し、「コツコツやってきたところ」との差は開いている。(長い目で見たら人手不足に向かうので、採用力が低いところほど、大手が採用しないときにやっておかなくちゃいけないんだけれどね)

これからは外から人を呼んで従業員を会議室に集めて講師に丸投げして、上司や職場は育成に関わらない、なんていう在り方は通用しない(そういう組織は本当に多い)。「中の人」が本気で自分のチームをどう構築していくか、若手をどう育成するかを自分ごとで(手を動かして)、今以上にもっと、考えていかなくてはならない。
だからといって、年齢だけ重ねた中の人が、部署の外から集合研修としてそれっぽいプログラムを教える、っていうのとは違うよ(それは外の人とあんまり変わらない)。←大手に多いやつね。

外の人であるわたしは、その「中の人」を側面から支援する、伴走にもっと重心をかけていきたい。育てる人を育てる。育てる人に伴走する。育てる人の悩みを聞いて解決を支援する。当事者は「中の人」なのだから。